表紙写真と記事
私がこの業界に入ったのは、1999 年。 翌年の 2000 年から、一人の利用者に関わる事になる。
その方(S さん)の娘さんが大阪におられ、宮崎県に住む、当時 65 歳の母親を呼び寄せられた。若い頃に、統合失調症を発症され、娘さんとの関係は、良好ではなかった。お一人暮らしをされるようになり、作業所には、毎日通所され、作業をされていた。私は、熊本県出身なので彼女と話すときは、九州弁で話す事ができ、お互い通じているのに、周りがポカンとしているのは面白かった。
ご性格は、おしゃべりが大好きで、いつも笑顔で、愚痴一つ言わない方。後に、訪ねて下さった妹さんに伺うと、子供の頃から人を悪く言うのを一度も聞いた事がないとの事だった。次第に、体の機能も低下していき、認知症も発症される。転倒しても、転倒しても作業所までの道のりを歩いてこられ、途中で、クリーニング屋さんや会社の警備の方などが、見守って下さっていたのか、倒れておられたら、作業所まで知らせに来て下さることも度々あった。
時間も解らなくなり、早朝に大きな交差点で動けなくなっているところを、たまたま通りがかった看護師さんが助けて下さった事もあった。S さんの人徳なのか、いつも奇跡的に助けて下さる方がいた。(バザーの途中でいなくなっていて、かなり遠くで保護されたり、通院の帰り、快速に乗ってしまい、「カニ見た」と何の事かと思えば、道頓堀まで行かれてたり、武勇伝?は、数知れず)医
療機関も含め、在宅支援、訪問看護等、定期的な担当者会議で、現状の共有と今後の課題、支援の方向性を検討してきた。
高齢者施設が、S さんにとって幸せではないかと悩み続けたが、S さんが希望されるので、ずっと作業所に通われることになる。認知症が進み始めた頃、おしゃべりが大好きで、いつも笑顔だった S さんの笑顔が消え、言葉を発する事も少な
くなった。私は、2 人きりになった時、「S さん!S さんの事教えて!なんも言わんと何ばして欲しいとか解らんやん!!」と強く詰め寄ったことがあった。
S さんは、絞り出すように「わたしは、わたしがわからんとよ・・」久しぶりに声を聞いた。私が、いかに無神経で、ひどい事を聞いていたのか気付かされた。S さんの物語に合わせて話すようになると、会話も何度も聞く昔ばなしが面白くて、笑顔でおしゃべりが大好きな S さんが戻ってこられた。作業も、S さんができる事を用意し、S さんも毎日、意欲的に取り組まれ、80 歳を超えても大きく認知症の進行が見られなかったのも、紬では、メンバーさんが毎日、S さんに挨拶し、話しかけてくれ、レクでは、代わる代わる車いすを押す人、手を握っていてくれる人、隣でしゃがんで一緒に楽しんでくれる人。いつも S さんを中心にしてくれたからだと思う。(猫たちも S さんが大好きで、黒猫木葉は、S さんが風邪をひいた時ずっと側にいて S さんは、今でも「黒猫ちゃんが治してくれた」と言う。
午後からは、ソファーで横になられるが、尚太郎と覚馬がピッタリくっついて添い寝している)。そんなメンバーさん達との日常生活と、支援機関との連携で、ずっと一人暮らしを続けてこられた中で、娘さんとの関係もとても良くなり、S さんも娘さんの顔が見られる事を一番楽しみにされている。私たちも、どこまで出来るかわからないけど、出来るところまでやろうと、スタッフも試行錯誤を続けてきたが、紬での身体介護にリスクが高くなり、限界を感じるようになる。先日の担当者会議で、具体的に高齢者施設に入所する事が決まる。
どこかでお別れが来ることは頭では解っていたが、まだまだお元気な Sさんと、もっと一緒にいられるんじゃないかという気持ちが、せめぎ合い 20 年の思い出を振り返りながら葛藤する。S さんには、スタッフも皆、言い尽くせないたくさんの事を学ばせて頂いた。紬を去って行かれる日まで、後悔のないよう全力で、楽しい一瞬、一瞬をつむぎたいと思う。新しい場所でも、優しいスタッフに囲まれて、温かい穏やかな毎日を過ごして欲しいと思う。
NPO 法人ロータス 理事長 弘 瑛美子
行事報告:つなごうや八尾映画祭
『夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の 100 年』(2020年1月26日)
2 本の映画を上映する映画祭の実行委員会に紬も参加しました。
『夜明け前』という映画を、八尾商工会議所で上映しました。前日まで、雨の予報とありましたが、なんのその、当日は快晴で、182 名というたくさんのご来場を頂きました。
当日は、映画の上映と、この映画を作られた今井友樹監督と、実行委員会の実行委員長である、八尾こころのホスピタル理事長の山本幸良先生とのトークセッションを行いました。
この映画は、呉秀三という精神科のお医者さんが、海外の精神医療を留学中に見て来られ、当時の日本の精神医療に疑問を投げかけ、精神科病院の不足もあり、精神病者監護法のもと、行われていた私宅監置(個人が、行政の許可を得て、家の離れや一室に精神病になった方を隔離、収容する事)の現状を調べられ、その方の生涯をたどり、日本の精神医療の歴史、私宅監置についてを取り
上げていました。私自身、言葉はわかっていても、実際の写真などが残っていて、それを見た時は、やはり驚きでした。
上映後、映画を作られた監督の想い、また山本先生からは、精神科病院の病室や身体拘束について、写真を交えながら、話して下さり、来場のお客様の「知りたい」という優しい熱意と、監督と先生の熱い想いが、会場にとてもいい雰囲気を作っていたように思えました。 (兼田)
星に語りて~Starry Sky~(2020年2月8日)
『星に語りて』という映画を、プリズムホールの小ホールで、午前と午後の2回上映し、午前218 名、午後 161 名、合計 379 名というたくさんのご来場を頂きました。
この映画は、2011 年 3 月 11 日に発生した、東日本大震災、その中で起きた事を、当時を知る証言者からの取材をもとに作られた映画です。震災発生時、避難場所のどこにも障害をお持ちの方がおられない状況、実際どこにおられたかと言えば、震災の被害を受けた家でひっそりとおられたそうです。この映画では、震災時の障がいをお持ちの方の様子、状況だけでなく、同じ仲間を失いなった行政の職員、どう支援ができるかを模索される全国組織の職員等、様々な視点から描かれて、震災の事を改めて教えてくれる映画でした。また、この映画では、講演活動をされているの利用者さんの出演もあり、被災した岩手県陸前高田の作業所の利用者さんを演じられていました。
また、映画の上映だけでなく、実行委員会に参加している事業所で、利用者さんが作られている商品の販売もあり、野菜や、布製品、ビーズ製品、レジン等様々な商品があり、各ブースは、事業所の個性がたくさん詰まっていました。たくさんの方に見て頂き、そして購入し下さり、どのブースも賑わっていました。 (兼田)
~映画の感想~
翔君の演技が上手で、感動しました!何回か涙で潤んで、映画にずっと引き込まれていました。(Marina)
障がい者があの東日本大震災をどう乗り越えて、今の生活を勝ち取ったか?障がい者を地震から避難所に誘導するのが難しいなと思いました。酷いのは、避難所について、一般市民から「白い眼」で見られるという事実が、まだまだ、障がい者が、差別を受けている現実が悲しかったです。けれど、障がい者は、人の心に敏感に対応して、亡くした友の宝物を最後まで諦めずに探して、最後には見つけ出すところに心が揺さぶられ、良かったなと感動しました。 (ミーミル)
障がい者フォーラム
2020 年 2 月 15 日(土)プリズムホールにて
2 月 15 日(土)に毎年恒例の「障がい者フォーラム」が開催されました。
私は、朝 11 時頃にプリズムの 3 階展示室にある「紬」のブースへ行きました。既に、お客様 で会場が賑わっていました。紬は、手芸品以外にも、軽作業「ボールチェーン」の検品の体験もあり、メンバーさんとお客様が作業をしていました。私は、手芸品販売の方を手伝う事にし、ブースの椅子に座っていると、すぐにお客様が買って下さり、売れ行き良好でした。
午後 1 時から、5 階の会場で、紬のピーアールをする為に行きました。紬のスタッフさんから当日にピーアールを頼まれ、何を言おうかとドキドキでした。司会は、芸人の「SPAN!」(スパン)さん!私は、芸は知らないけれど、名前と顔だけは知っていたので、嬉しかったです。いざ、舞台に立った時、笑顔を意識しました。私は、朝会社へ行って、昼には紬へ寄って、作業したり、猫ちゃんと遊んでゆっくりしたり、猫ちゃんに癒されている事を話しました。舞台で自分の話す番が終わり、ピーアールを見ていた友達を発見し、手を振っていた時、急に私に
話を振られ、聞いていなかったので少しズレた答えをし、ハプニングもありましたが、無事にピーアールをし終えまた。その後も私は、障がい者の主張を見学したり、店番に戻って楽しい時間を過ごしました。 (Marina)
障がい者フォーラムは、朝の10時から始まり、私は、10 時半から参加した。普段している作業所内での作業をした。見に来る人、実際に作業を体験していく人など、16 時に終わるまでたくさんの人が訪れてくれました。
私自身の事で言わせてもらえれば、大人数で作業を見られる事はすごく苦手だが、逃げ出したい気分に何度も襲われたが、無事に作業を 16 時前まで、途中休憩をはさんだが、続けられた事は、自信につながった。別のブースの手芸のコーナーでも売上が良かったようで、障がいを持つ者同士のふれ合いの場としてのフォーラムは、今後も途切れずに開催される事を期待します。 (なお)
ある日のにゃんこさん
今日の昼食は、何かにゃ?何を作っているのかにゃ?
おぉ~、オムライスにゃ~、美味しそうな玉子。
僕にもくれるのかな…。最近、塩分がどうのこうのて言って、なかなかくれないからな…。
皆で、配膳しているけど、僕の分を忘れないでね。
あれ?一人分残っているぞ、え、もしかして僕の分?
よし、誰もいない、食べちゃえ~
と、そんな事を考えていた覚馬なのか、後から来る人の分を、キッチンに置いていたのが悪かったのですが、覚馬にやられました。オムライスにラップをしていたのにも関らず、果敢にもラップをやぶり、玉子の端の部分をかじられました。なぜ、覚馬と分かったかというと、情けない事に、きっちり証拠が残っていたんです。ほんま、情けないお顔で御用となりました。
漫画:住めば普通(フツー)。の巻
編集後記
新コロナウィルスは、深刻な状況ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?蓮の上の猫を読んで頂き、ありがとうございます。読んで下さった皆様に、少しでも明るい気持ちになればいいなと思っております。次回もお楽しみに。 (ノリ緒)
久々にイラストを描いたり、対談に参加させて頂きました。年度の変わり目で、お忙しくされている方も楽しんで頂ければと思います。 (アンリ)